嫉妬するぐらいオモロイ!

パリピお化けさん達の欲にまみれたお祭りと共に、

10月も終わりに近づきました。

早稲田祭、もうすぐですね。

 

早稲田大学文学部4年、尾崎洋仁(おざきひろひと)と言います。

参加回数2~3回の「たまに顔出しに来るヤツ」ですが、

恐縮ながらブログリレー繋がせてもらいます。

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大学4年間について少し。

 

サークルは放送研究会にいました。

活動としては主に、「企画」に携わる活動がほとんどでした。

自主運営のイベントでは、

コンニャクを賭けてオネエと早稲田王を戦わせてみたり、

「サークルの可愛い姫たちを愛でまくる」という

後輩のクソオナニー企画に付き合ったり。

去年の早稲田祭の放送研究会企画では、

サークルの素敵なパフォーマンスにオネエの皆さんをぶち込んで

いろいろと物議をかもしちゃったりと…。いろいろやりました。

 

学部では、特に学びたい事もなかったので

自分から最も縁遠い「考古学」とやらをテキトーに選びました。

その挙句、ひたすら土器を磨きまくったり、

ガラスを石でカチ割って石器を作らせられたり、

茨城の山奥に10日間「穴」を掘りに行かされたり、謎めいた日々を過ごす毎日。

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卒論は、こちらの“セクシー埴輪ちゃん”たちが超絶キュートだったので、

こいつらのイケてる写真をオシャレに貼りまくって出してやろうと思っております。

“あそ文”の分際ながらポロポロと単位を落とし、マジックは0。

首の皮一枚の我が運命を、

“セクシー埴輪ちゃん”に託そうと決意する今日この頃でございます。

 

そんな僕が早稲田を目指したきっかけについて。一言でいうと、

「早稲田で大学生やりながら、放送作家になりたいな…」

という思いでした。

中学のときから、どうしてもテレビの放送作家になりたくて、

「作家になるためにとりあえず東京出たいから、

大学は早稲田ぐらい入っとこう。」ぐらいのノリで

高2から受験勉強をはじめて、結果一浪して、なんとか入れました。

 

経緯ははしょりますが、大学2年の頃に業界に飛び込んで、

今ではいろいろなご縁に恵まれ、

放送作家としての仕事を少しずつですが頂けるようになりました。

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まだまだ駆け出しのへっぽこですが、

「早稲田に来て実現したかった事」が少しずつ動き始めました。

 

自分がやりたかった事をやれはじめたのは、

「“早稲田”で誰かと一緒に“企画”をやれたから」

他なりません。

 

企画は、「何かを実現させたい人」がいて、

その「相談相手」が必要だと思います。

これまで早稲田で企画を作ってきた想い出を振り返ると、

自分は「企画で何かを実現したい人」の「相談相手」として、

言うなれば「キャッチャー」になろうともがいていました。

 

放送作家の仕事の立ち位置はまさしく、

番組を作るディレクターという主役たちの「相談相手」。

「テレビを作りたい人のキャッチャー」と言えます。

「やっぱり放送作家をやりたい」と思わせてくれたのは、

早稲田というフィールドで、企画作りの経験が出来たからです。

 

今回の中夜祭は、これまで共に企画を作ってきた仲間や、

他サークルでオモシロ企画をぶち上げてきた猛者ばかり。

各々に「コイツ面白れぇな。スゴイな。」と思ってしまう部分があって、

嫉妬しちゃうくらい面白いことを考えられる人間ばかりが集まってます。

 

結果、たまに会議に顔出させてもらうぐらいで

ほぼほぼお役に立てなかったけど、

これまで出会ってきた「面白いヤツら」が結集して

最後の最後にブチかます中夜祭を、

1人でも多くの人に見てほしいという気持ちでいっぱいです。

 

早稲田は、「夢を叶えたい大学生が日本一集まる場所」であり、

それを実現することが出来る「日本一のフィールド」。

その中でも、最も彼らが輝く瞬間が、「早稲田祭」だと思います。

 

今年の中夜祭のコンセプトは、「日本一短い学園祭」

11/4 16:0516:40大隈講堂前ステージにて。

 

タイトル通り、

「嫉妬するぐらいオモロイ!」です。是非。